各地に大雨を降らせるいたずら雨雲は日本列島に居座って、
人間社会に災害を起しているが、天はそれが必用だと昔から思っているらしい。
一年間のスパンで考えてみると、自然界にとっては今の水が大地にとっても海にとっても必要なのだろう。
これから来る夏の暑い陽射しに対応する為にも、畑の旱魃を潤わせる為にも、
新しくこの時期に生まれてくる生命の為にも、適切なサイクルを守ってくれているのだ。
自然は人間社会に作為的な行為は無いが、自然の側から見ると、
そのような秩序を守ろうとする行為が意思的なのかも知れない。
写真は雨をいっぱい降らした満足な水の表情。
2013/06/25
水と遊び・水を知り・水に習う (77)
今朝、散歩の途中で「ナツツバキ」の白い花を見た。
この花は珍しい。花びらが繊細で透き通るように薄い、
特に濡れていると、シルクのようで思わず触りたくなる。
平家物語の語りの部分に登場する「沙羅双樹の花の色」で有名である。
花びらが一枚一枚散るのでなく、花一個ごとポトと落ちるので、
寂しさ哀れさを感じる。
また、そういう意味において茶花に使われることが多い。
赤い椿もこの沙羅双樹も濃い葉っぱの緑と相まって茶室に似合いそうである。
梅雨の時期に是非見たい花である。
この花は珍しい。花びらが繊細で透き通るように薄い、
特に濡れていると、シルクのようで思わず触りたくなる。
平家物語の語りの部分に登場する「沙羅双樹の花の色」で有名である。
花びらが一枚一枚散るのでなく、花一個ごとポトと落ちるので、
寂しさ哀れさを感じる。
また、そういう意味において茶花に使われることが多い。
赤い椿もこの沙羅双樹も濃い葉っぱの緑と相まって茶室に似合いそうである。
梅雨の時期に是非見たい花である。
2013/06/22
水と遊び・水を知り・水に習う (76)
今日は梅雨の晴れ間で、空が澄み渡って真っ青に白い雲が美しい。
昨日までの雨が日本中を洗い流してくれたようだ。
庭のねじり花をかざして空を撮った。
いま盛りのアジサイも水をたっぷり含んでそれぞれの色を鮮やかに映してくれている。
水の惑星ならではの幸せを自然が見せてくれている。
こんな日は日常から解放されて、身もこころも自然になればいい・・・
昨日までの雨が日本中を洗い流してくれたようだ。
庭のねじり花をかざして空を撮った。
いま盛りのアジサイも水をたっぷり含んでそれぞれの色を鮮やかに映してくれている。
水の惑星ならではの幸せを自然が見せてくれている。
こんな日は日常から解放されて、身もこころも自然になればいい・・・
2013/06/18
水と遊び・水を知り・水に習う (75)
この写真は水が喜んでいる表情です。
山の奥から流れてきた水が逆巻いて、踊って、楽しんで、戯れています。
こういう水を見るとなんだか嬉しくなります。
水本来の透明感と自由奔放な姿が、喜んでいるように思わせてくれるのでしょう。
私も一緒に流れて行きたくなります。
どこに到達するのだろう。
山の奥から流れてきた水が逆巻いて、踊って、楽しんで、戯れています。
こういう水を見るとなんだか嬉しくなります。
水本来の透明感と自由奔放な姿が、喜んでいるように思わせてくれるのでしょう。
私も一緒に流れて行きたくなります。
どこに到達するのだろう。
2013/06/15
水と遊び・水を知り・水に習う (74)
恵の雨が日本列島を湿らせてくれた。
植物達の喜んでいる様子を思い浮かべる。
田植えの水をまかなえるほどの量ではないようだ。
都会に住む者には雨は迷惑顔で見られているのかもしれないが、
そういう時ほど、人は都会の中で生きていない、
自然に生かされているのだと思いかえる、いい機会だろう。
ベランダにある鉢植えの花にさえ、どれほど水が必要か思い知らされる。
水が無ければ花が咲かないで終わってしまうのだから・・・
道路の乾きより、いのちの渇きに目を向けて暮らす日々を送りたいものです。
植物達の喜んでいる様子を思い浮かべる。
田植えの水をまかなえるほどの量ではないようだ。
都会に住む者には雨は迷惑顔で見られているのかもしれないが、
そういう時ほど、人は都会の中で生きていない、
自然に生かされているのだと思いかえる、いい機会だろう。
ベランダにある鉢植えの花にさえ、どれほど水が必要か思い知らされる。
水が無ければ花が咲かないで終わってしまうのだから・・・
道路の乾きより、いのちの渇きに目を向けて暮らす日々を送りたいものです。
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