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2013/05/25

水と遊び・水を知り・水に習う (68)

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の中に次の文がある。
「君が手に触れる水は、過ぎし水の最後のものにして、来たるべき水の最初のものである。現在と言う時もまたかくの如し。」
哲学的な文章になっているが、私にとっては「水と時」を一つのものとして表した名文だとほくそえんでいる。
私は「水が時を連れてやってくる」と言う表現をしているが。
水は瞬時に変化していて、同じ状態はない。
時は生きること。時もいのちも見えないけれど変化している。
見えないところで生かされている。